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「熊野古道を歩こうシリーズ」の記事一覧

【熊野古道を歩こう】15~十一文関所跡

2日ほど続いた雨も上がって、今日は久しぶりの青空!
水不足も困りますが、やっぱり晴れた日は気分が良いですね(*´ω`*)

さてさて、国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ。
今回ご紹介するのは、前回ご案内しました南方熊楠の滞在跡地の向かい側にあるここ「十一文関所跡」です。

十一文関所跡

ご存知の方も多いとは思いますが、関所とは、交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設です。
県道46号線には「川関」「井関」といった『関』のつく地名が残っていますが、ここらにも関所があったからだといわれています。
熊野詣に来る人を対象に、数キロごとに通行料を徴収していたんですね(|||´Д`)

この関所は「十一文関」といいまして、那智勝浦町のお隣にある新宮市の前身「州新宮藩」が管理していました。
新宮藩は、紀州徳川家の家老を代々務めていた水野家の所領で、現在も新宮市には、丹鶴城(たんかくじょう)というお城跡があります。
(春になると桜が綺麗ですよ~!)

……話がそれました。
熊野詣の様子を描く『那智曼荼羅』には、関所でお金がなくて立ち往生する人、関所入口で貴族の行列に自分を売り込む人など、生々しい様子が描かれています。
これ、昔は庶民が貴族に助けを求めてるのかなと思ってたのですが

◎お金がない人は貴族の参拝行列に荷物持ちとして雇ってもらって関所を通れる
◎貴族はお金のない人に仕事を与えて熊野詣をさせることで、功徳を積む=極楽への道が開ける

ということで、ちゃんとWin-Winの関係が成り立っているのだそうです。
へえ~( ゜□ ゜)
次回は神界と俗世の境目をご紹介しようと思います♪

【熊野古道を歩こう】14~南方熊楠の滞在跡地

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ。
今回は、熊野古道・大門坂のふもとの諸々の跡地をご紹介しようと思います(*’ω’*)

大門坂の石碑を通り過ぎて数十メートル、左手に「南方 熊楠(みなかた くまぐす)」が研究のために3年間滞在した旅館の跡地があります。

南方熊楠滞在跡地

ちなみに南方 熊楠とは……
1867年〔慶応3年〕~1941年〔昭和16年]、日本の博物学者で生物学者(特に菌類学)で民俗学者。

学位にこだわらず、興味のおもむくままに研究をかさね、いろんな分野に手を伸ばした人という印象があります。
菌類学者としては粘菌の研究で知られていて、この大門坂を含む国立公園「那智原生林」では、1900年ごろから3年間、主に粘菌の採集をしていたようです。

南方熊楠といえば、昭和天皇に植物標本をキャラメルの箱にいれて献上した逸話が有名ですが、ちょっと不思議な人だったみたいです。
ネットでもおもしろ伝説がいっぱい読めますので、興味のある方は探してみて下さい。

我が家にも「宿の庭にいっぱいシダを植えていて変な人やった」という、曾祖母の言葉が伝わっています。
『あのシダは薬草になるんじゃないか、なんて地元の人が噂した』という話もあるそうです。
研究のためだったんでしょうけど、当時の人々には「???」だったんでしょうね(*’ω’*)

次回は、旅館跡地の向かい側をご紹介する予定です( ´▽`)ノ

【熊野古道を歩こう】13~大門坂入口

毎日寒いと思ったら、昨日はみぞれ混じりの雪もちらつきました。
(南紀では珍しいことです……(。・ω・)
みなさまお身体冷やさないよう、温泉で温まってくださいね!

さてさて、今日は久しぶりのシリーズものです。
(ネタがないんだろとかツッコまないで……)
国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズも、いよいよメインの熊野古道・大門坂のふもとまでやって来ました(*’ω’*)

大門坂入り口

前回ご紹介しました「大門坂駐車場」からさらに200~300メートルほど登っていくと、進行方向左側に登って行く道が見えてきます。
世界遺産に認定されてから標識や案内板が増えたので、あまり迷われることはないと思いますが、左手が大門坂(だいもんざか)になります。
入口には石碑がたっていて、よく記念撮影をされている方がいます。

大門坂入り口

よく聞かれる質問ではあるのですが「熊野古道」は平安時代以降の熊野詣に利用された道の総称です。
現在では道自体なくなってしまったところも多く、短い区間で点在しているところもあります。

そんな熊野古道の中で、当時の姿が残っている&管理もされているということで、メジャー扱いなのが「大門坂」になります。
ここからしばらくはまだ道沿いに民家もあって、普通の田舎の道な雰囲気です(*´ω`*)
この先に「振ヶ瀬橋(ふりかせばし)」という橋があるのですが、その橋までが「俗界」とされています。

余談ですが、地元の人の間ではよく、この大門坂まで来る途中にある、市野々小学校~大門坂駐車場の間で気温が下がる、気圧がかわると言われます。
(人によって、若干変わるポイントが違いますが……)
実際、車で走っていてもその辺りで耳がキーンとなったり、寒さを感じることが多いんですよ~。
昔の人が熊野はあの世への入口だと言ったり、聖域と俗界の境い目をこの辺りに決めたのは、そういった気候や気圧の境い目だってこともあるのかな?と勝手に思っています。

次回は振ヶ瀬橋の手前にある、ある跡地のご紹介です( ´▽`)ノ

◆◆◆熊野古道大門坂
かつうら御苑からの所要時間:お車で15~20分程度

【熊野古道を歩こう】11~なでしこジャパン記念モニュメント《2》

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
前回ご紹介しました「大門坂駐車場」内の「なでしこジャパン記念モニュメント」後編です。

なでしこジャパン記念モニュメント

モニュメントの下部分には、監督や選手の足型(キーパーは手形)とサインが刻まれています。
一枚目! 右下の足跡は佐々木監督ですね(*´ω`*)

なでしこジャパン記念モニュメント

あとはサッカーに詳しくない方でもご存知な澤選手の足跡も載せておきますね!
パワフルに活躍した選手の方々ですが、やはり女性。
写真を撮る人々も「案外(足のサイズが)小さいな~」と驚いていました。

なでしこジャパン記念モニュメント

モニュメントの横には、優勝したドイツ大会の成績と写真もついています♪
このモニュメントを見るためだけに……というほどのものではありませんが、熊野古道を歩く前に、ちょこっと記念撮影にいかがですか?

◆◆◆なでしこジャパン記念モニュメント
場所:JR那智駅から那智山方面へ(大門坂駐車場内) 県道46号線沿い
かつうら御苑からの所要時間:お車で15分程度

【熊野古道を歩こう】11~なでしこジャパン記念モニュメント《1》

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
本日ご案内するのは、前回ご紹介しました「大門坂駐車場」内にある「なでしこジャパン記念モニュメント」です。

なでしこジャパン記念モニュメント

なでしこジャパンの2011年FIFA女子ワールドカップ優勝とロンドンオリンピック銀メダルを記念して、今年2015年の7月に完成したそうです。
(ドイツ大会優勝を受けて計画されたものなのですが、紀伊半島の豪雨災害で一時中断していたそうです)

なでしこジャパン記念モニュメント

モニュメントのてっぺんには、黄金のサッカーボールを蹴ろうとするヤタガラス(*’ω’*)
足三本あるんだけど、サッカー的にはこれはアリなんでしょうか?(笑)

なでしこジャパン記念モニュメント

ところで「なんで那智勝浦にサッカーのモニュメントがあんの?」と不思議に思われる方もいらっしゃると思います。
モニュメントに説明文が載っているのですが……

日本における現在のサッカーの起源は東京高等師範学校であり、その生みの親といわれるのが中村覚之助(かくのすけ)氏である。
中村覚之助氏は明治11年に那智勝浦町浜の宮で生まれ、東京高等師範学校在籍時の明治35年に、英国の文献を元に「アッソシェーション・フットボール」を編纂して、ア式蹴球部を創設した。
これが現代日本における現代サッカーの始まりである。
 
日本サッカー協会のシンボルマークの三本足の烏は、中国の古典にある三本烏となっているが、日本においてはまぎれもなく八咫烏(やたがらす)である。
八咫烏は神武天皇東征の際に、大和へ道案内した熊野の守護神であり、勝利へ導く遣いとされている。(以下略)

現代サッカーの生みの親の中村覚之助さん、意外と近所の人だったんですね……。
案外うちのご先祖と、どこかですれ違ったりしてたかもしれません。
中村覚之助氏の出身地であること、この地に馴染み深い八咫烏が『勝利に導く遣い』であることから、ユニフォームのデザインにも採用されたのですね。

モニュメントの下部分には、佐々木監督や選手の足型、手型が刻まれているのですが、そちらの紹介は後日したいと思います(*´ω`*)

【熊野古道を歩こう】10~大門坂駐車場《1》

早いものでもう12月!
みなさまクリスマスや年末の準備でお忙しいことと思いますが、いかがお過ごしですか?
さてさて、国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
本日ご案内するのは「大門坂駐車場」です。

大門坂駐車場

「熊野古道」は、熊野詣に使用された道の総称であり、わりと色々なところに点在しています。
(今ではなくなってしまった道も多いので)
那智勝浦に来られる方が「熊野古道」というと、一般には昔の面影を色濃く残した『大門坂(だいもんざか)』のことをいいます。
テレビやポスターなどで、ご覧になったことがある方も多いかと思います。

大門坂駐車場

駐車場は乗用車100台程度が駐車可能です。
もちろん無料ですよ~。
これから先、お手洗いや自販機は当分ありませんので、徒歩で熊野古道・大門坂を歩かれる方は、大門坂駐車場で準備をなさってからご出発くださいね(*’ω’*)

◆◆◆大門坂駐車場
場所:JR那智駅から那智山方面へ 県道46号線沿い
かつうら御苑からの所要時間:お車で15分程度

【熊野古道を歩こう】9~文明の岡

今日は朝から「伊勢海老祭り」が開催されていましたが、行かれた方はいらっしゃいますでしょうか?
私も行きたかった~!

文明の岡

さてさて、国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
本日ご案内するのは、前回ご紹介した『市野々王子』が元々あったといわれる『文明の岡』です。

市野々王子から100メートルほど旧道をのぼって右手側。
天照大神影向石(ようごういし。神様が一時姿を現す石)があります。
ここは「お杉屋」と呼ばれていて、建てかけの未完成の家「お仮屋(おかりや」を建て、ウガヤフキアエズノミコトをお祭りしてきたそうです。

終戦の頃までは、毎年お祭りしていたそうですが、終戦後、廃止されたとのこと。
市野々王子は「文明の岡」旧社地があり、江戸時代に移動した説があります。
市野々王子からこの文明の岡の間に小学校がありますが、ここの校章もヤタガラス(*´ω`*)
今まで意識してなかったけれど、いろんなところに歴史を感じる場所がありますね。

◆◆◆文明の岡
場所:那智勝浦町市野々地区 JR那智駅から那智山方面へ
(市野々小学校から数十メートルのぼったあたり)
かつうら御苑からの所要時間:お車で10分程度

【熊野古道を歩こう】8~市野々王子神社《2》

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
本日は、前回の市野々王子の続きです。

鳥居のそばには真新しい案内看板と「市野々王子押印所」と銘打ったものが……(´д`*)
案内看板には日本語と英語で由来が書かれている他、観光案内が携帯端末で見られるQRコードも載っています。
おおぅ、現代的!

市野々王子

「市野々王子押印所」の中の扉を開けると記念スタンプが入ってます。

市野々王子

市野々王子

スタンプの図柄はこんな感じ!
真っ白な紙を持ってなかったもので、メモ帳に押してしまいました。
社の後ろに繁っている木々がいい感じです(*´ω`*)

一説には、市野々は神様の使いといわれる八咫烏(やたがらす)の子孫が住むといわれています。
(市野々王子の近くにある、市野々小学校の校章も八咫烏です)
また、市野々王子はもとからここにあったという説と、100mほど上手にある「文明の岡」と呼ばれる所に旧社地があり、江戸時代にここに移されたのだという説があります。
次回は文明の岡を紹介したいと思いますo(^-^)o

◆◆◆市野々王子神社
場所:那智勝浦町市野々地区 JR那智駅から那智山方面へ
(市野々小学校から数十メートルくだったあたり)
かつうら御苑からの所要時間:お車で10分程度

【熊野古道を歩こう】7~市野々王子神社《1》

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
第7回は再び史跡系!( ´▽`)ノ
熊野九十九王子のひとつ、『市野々王子(いちののおうじ)』をご紹介いたします。
前回ご紹介しました『尼将軍供養塔』から、旧道を数百メートルのぼったところにあります。

熊野曼荼羅

熊野曼荼羅でいうとこのあたり。

市野々王子神社

創建は明らかではありませんが、古くから熊野那智大社の末社でした。
天仁2年(1109年)に熊野に参詣した藤原宗忠(ふじわらのむねただ)参詣記『中右記』には「一野」、承元4年(1210年)に後鳥羽上皇の後宮・修明門院の参詣記には「一乃野」の名で登場しています。
平安後期~鎌倉時代にはあったということですねぇ……あそこそんなに歴史あったんだ(;´Д`)

市野々王子神社

那智参詣曼荼羅では、二の瀬橋のすぐ手前に描かれている小社が市野々王子だろうと推定されています。
『紀伊続風土記』では、往来する多くの参詣者を相手に市が立ったことが社名の由来であるとしていますが、室町時代から戦国時代の史料は「一野」。
市野々と呼ばれるようになったのは近世のことだそうです。

市野々王子神社

鳥居をくぐった先、境内に祀られているのは地主八咫烏神社。
神様の使いといわれる、三本足の八咫烏(やたがらす)が祀られています。
今ではサッカー日本代表のユニフォームのマークとしても知られていますよね(*’ω’*)

市野々王子神社

元々自然がいっぱいの場所ではあるのですが、境内はうっそうと繁った木々にかこまれてとっても静か。
心なしか空気も澄んでいるように感じます。
次回に続きます( ´▽`)ノ

◆◆◆市野々王子神社
場所:那智勝浦町市野々地区 JR那智駅から那智山方面へ
(市野々小学校から数十メートルくだったあたり)
かつうら御苑からの所要時間:お車で10分程度

【熊野古道を歩こう】6~尼将軍供養塔

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
第6回は再び史跡系のご紹介をしたいと思います。

前回ご紹介しました『田んぼのそばの温泉』から県道にもどり、那智山方面へ1キロ程度。
右手に少し開けた場所があり、平成23年の台風第12号の災害で亡くなった方の慰霊碑が建てられています。
(左手に流れているのは那智参詣曼荼羅にも描かれている『那智川』です)
なお、慰霊碑のあるあたりは『魚の首(うおのくび)』という名前がついています。
昔、大地震で津波が起こり、引いた後に、木々の枝に魚の首がひっかかっていた ……というのが由来なんですって。
町内でも本当に近辺の人しか言わないみたいで、勝浦の人には「何その怖い名前!」と言われます(|||´Д`)

ちなみに魚の首までが井関地区、魚の首以降が市野々地区になります。
閑話休題。 その魚の首から右手の道に入ると、旧道になります。
「ふだらく霊園」という看板を通り過ぎた後、旧道からさらに右手に登る道があり……
写真は入り口部分ですが、ここを登ったところに『尼将軍供養塔』があります。

尼将軍供養塔

『尼将軍』とは、ご存知、源頼朝の正室・北条政子のことです。
夫の死後、出家してからも政治の実験を握ったとして有名ですね(*´ω`*)
この供養塔は、北条政子が病がちな我が子・源実朝の平癒を願って、建保6年(1218年)に建立されたと伝わっています。
地元では祠自体が『尼将軍』と呼ばれていて、石に願い事を書いて納めれば叶うと言われています。

◆◆◆尼将軍供養塔
場所:JR那智駅から那智山方面へ 県道46号線から市野々旧道にはいったところ
かつうら御苑からの所要時間:お車で10分程度