「2015年11月」の記事一覧

【熊野古道を歩こう】9~文明の岡

今日は朝から「伊勢海老祭り」が開催されていましたが、行かれた方はいらっしゃいますでしょうか?
私も行きたかった~!

文明の岡

さてさて、国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
本日ご案内するのは、前回ご紹介した『市野々王子』が元々あったといわれる『文明の岡』です。

市野々王子から100メートルほど旧道をのぼって右手側。
天照大神影向石(ようごういし。神様が一時姿を現す石)があります。
ここは「お杉屋」と呼ばれていて、建てかけの未完成の家「お仮屋(おかりや」を建て、ウガヤフキアエズノミコトをお祭りしてきたそうです。

終戦の頃までは、毎年お祭りしていたそうですが、終戦後、廃止されたとのこと。
市野々王子は「文明の岡」旧社地があり、江戸時代に移動した説があります。
市野々王子からこの文明の岡の間に小学校がありますが、ここの校章もヤタガラス(*´ω`*)
今まで意識してなかったけれど、いろんなところに歴史を感じる場所がありますね。

◆◆◆文明の岡
場所:那智勝浦町市野々地区 JR那智駅から那智山方面へ
(市野々小学校から数十メートルのぼったあたり)
かつうら御苑からの所要時間:お車で10分程度

【熊野古道を歩こう】8~市野々王子神社《2》

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
本日は、前回の市野々王子の続きです。

鳥居のそばには真新しい案内看板と「市野々王子押印所」と銘打ったものが……(´д`*)
案内看板には日本語と英語で由来が書かれている他、観光案内が携帯端末で見られるQRコードも載っています。
おおぅ、現代的!

市野々王子

「市野々王子押印所」の中の扉を開けると記念スタンプが入ってます。

市野々王子

市野々王子

スタンプの図柄はこんな感じ!
真っ白な紙を持ってなかったもので、メモ帳に押してしまいました。
社の後ろに繁っている木々がいい感じです(*´ω`*)

一説には、市野々は神様の使いといわれる八咫烏(やたがらす)の子孫が住むといわれています。
(市野々王子の近くにある、市野々小学校の校章も八咫烏です)
また、市野々王子はもとからここにあったという説と、100mほど上手にある「文明の岡」と呼ばれる所に旧社地があり、江戸時代にここに移されたのだという説があります。
次回は文明の岡を紹介したいと思いますo(^-^)o

◆◆◆市野々王子神社
場所:那智勝浦町市野々地区 JR那智駅から那智山方面へ
(市野々小学校から数十メートルくだったあたり)
かつうら御苑からの所要時間:お車で10分程度

【熊野古道を歩こう】7~市野々王子神社《1》

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
第7回は再び史跡系!( ´▽`)ノ
熊野九十九王子のひとつ、『市野々王子(いちののおうじ)』をご紹介いたします。
前回ご紹介しました『尼将軍供養塔』から、旧道を数百メートルのぼったところにあります。

熊野曼荼羅

熊野曼荼羅でいうとこのあたり。

市野々王子神社

創建は明らかではありませんが、古くから熊野那智大社の末社でした。
天仁2年(1109年)に熊野に参詣した藤原宗忠(ふじわらのむねただ)参詣記『中右記』には「一野」、承元4年(1210年)に後鳥羽上皇の後宮・修明門院の参詣記には「一乃野」の名で登場しています。
平安後期~鎌倉時代にはあったということですねぇ……あそこそんなに歴史あったんだ(;´Д`)

市野々王子神社

那智参詣曼荼羅では、二の瀬橋のすぐ手前に描かれている小社が市野々王子だろうと推定されています。
『紀伊続風土記』では、往来する多くの参詣者を相手に市が立ったことが社名の由来であるとしていますが、室町時代から戦国時代の史料は「一野」。
市野々と呼ばれるようになったのは近世のことだそうです。

市野々王子神社

鳥居をくぐった先、境内に祀られているのは地主八咫烏神社。
神様の使いといわれる、三本足の八咫烏(やたがらす)が祀られています。
今ではサッカー日本代表のユニフォームのマークとしても知られていますよね(*’ω’*)

市野々王子神社

元々自然がいっぱいの場所ではあるのですが、境内はうっそうと繁った木々にかこまれてとっても静か。
心なしか空気も澄んでいるように感じます。
次回に続きます( ´▽`)ノ

◆◆◆市野々王子神社
場所:那智勝浦町市野々地区 JR那智駅から那智山方面へ
(市野々小学校から数十メートルくだったあたり)
かつうら御苑からの所要時間:お車で10分程度

【熊野古道を歩こう】6~尼将軍供養塔

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
第6回は再び史跡系のご紹介をしたいと思います。

前回ご紹介しました『田んぼのそばの温泉』から県道にもどり、那智山方面へ1キロ程度。
右手に少し開けた場所があり、平成23年の台風第12号の災害で亡くなった方の慰霊碑が建てられています。
(左手に流れているのは那智参詣曼荼羅にも描かれている『那智川』です)
なお、慰霊碑のあるあたりは『魚の首(うおのくび)』という名前がついています。
昔、大地震で津波が起こり、引いた後に、木々の枝に魚の首がひっかかっていた ……というのが由来なんですって。
町内でも本当に近辺の人しか言わないみたいで、勝浦の人には「何その怖い名前!」と言われます(|||´Д`)

ちなみに魚の首までが井関地区、魚の首以降が市野々地区になります。
閑話休題。 その魚の首から右手の道に入ると、旧道になります。
「ふだらく霊園」という看板を通り過ぎた後、旧道からさらに右手に登る道があり……
写真は入り口部分ですが、ここを登ったところに『尼将軍供養塔』があります。

尼将軍供養塔

『尼将軍』とは、ご存知、源頼朝の正室・北条政子のことです。
夫の死後、出家してからも政治の実験を握ったとして有名ですね(*´ω`*)
この供養塔は、北条政子が病がちな我が子・源実朝の平癒を願って、建保6年(1218年)に建立されたと伝わっています。
地元では祠自体が『尼将軍』と呼ばれていて、石に願い事を書いて納めれば叶うと言われています。

◆◆◆尼将軍供養塔
場所:JR那智駅から那智山方面へ 県道46号線から市野々旧道にはいったところ
かつうら御苑からの所要時間:お車で10分程度

【熊野古道を歩こう】5~田んぼのそばの温泉

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ(*’ω’*)
第5回はすこーしだけ県道から外れた場所に移動いたします。

たらいの温泉

前回ご紹介した川関のカーブの温泉から数百メートル先の、井関地区。
県道から少し右に入ったところの田んぼが広がる地域(通称:田んぼ道)にも温泉が出ています♪

昨年、毎日放送の「ちちんぷいぷい」の「昔の人は偉かった」コーナーで紹介されてから、ちょいちょい観光に来られた方が場所を聞いて来られるようになりました。
番組では通称「たらいの温泉」と紹介されましたが、これもやっぱり地元の人は好き勝手呼んでおりまして、「井関の温泉」だとか「田んぼ道の傍の温泉」だとか色々な表現がされています。

ここも50年以上前からあるそうです。
(親に確認しているだけなので、はっきりした数字は不明です。すみません(;´Д`)

ただここ、場所が分かりづらく……(地元民以外に分かる目印がないので)
目印的には川関のカーブの温泉の後、数百メートル直線を走って、右にゆるいカーブを曲がった先になります。
周辺で地元の方に聞くのが一番確実です、たぶん……。
あと、Googleマップでは県道43号線と表示されているのでご注意ください。
(浜の宮地区~井関地区あたりまでの県道は、43号線と46号線が重複しています)

勝浦町内には、当館のような温泉旅館の他、立ち寄り湯、整備された足湯もたくさんありますが、こうした自然のままに湧いている温泉もいいものですよ~(*´ω`*)

◆◆◆井関のたらい温泉
場所:JR那智駅から那智山方面へ 県道46号線沿い
かつうら御苑からの所要時間:お車で6分程度

【熊野古道を歩こう】4~県道沿いの温泉

国道42号線から那智の滝方面へのびる「県道46号線」に沿ってご紹介していく、【熊野古道を歩こう】シリーズ、第4回は歴史から一度離れて、おもしろ系に行ってみようと思います。

熊野曼荼羅

今回ご紹介しますのは「那智参詣曼荼羅」でいうとこの辺り。
熊野詣が盛んだった時代、熊野古道にはいくつもの関所があったそうです。
曼荼羅には、通行料が払えず追い返されている人や、仕事を求める人などが描かれています。
(公家の行列に荷物持ちなどで雇ってもらって、関所を通してもらうんですって。通行料を支払ってくれる公家にも『徳を積む』というメリットがあったとか。まさにWin-Winの関係!( ´▽`))

今もこの辺りは、井関(いせき)、川関(かわせき)と「関」のついた地名が残っており、関所があった名残だといわれています。

さてさて、那智勝浦といえば、世界遺産、まぐろ、そして温泉(*´ω`*)
今日お見せしたいのはこちら! 道端に湧いている温泉です!
川関の県道沿いにあります。

豚の温泉

県道のカーブ沿いにあるので「カーブの温泉」「曲がり口の温泉」
昔すぐ裏手に養豚場があったので「豚の温泉」
犬のシャンプーによく利用されるので「犬の温泉」
……など、私が知っているだけでも複数の名前がありますが、正式名称は不明です( ´▽`)
ちなみに私は「豚の温泉」派です♪

この温泉、2010年にTV番組の「ナニコレ珍百景」に「恥ずかしすぎる露天風呂」としてノミネートされたことがあります。
(残念ながら登録はされませんでした(´・ω・`)
番組では『地元の人が犬を洗うために、温泉をひいてシンクを設置したものなのだそう(TV朝日の公式サイトより)』と紹介されましたが、犬が洗われるようになったのはここ20年ぐらいの話で、温泉自体は50年以上前から湧いています。
地元の人が洗濯に使ったり、お風呂に使うのにタンクに汲んだり……私も子供の頃は、毎週土曜の午後は上履きを洗いに行ったものです(*’ω’*)
(お湯なので汚れがよく落ちました)

本当に温泉が湧いているだけで施設がある訳ではないのですが、県道沿いの通り道ですので、ちょっと車を停めて見てみてください(*´ω`*)

◆◆◆カーブの温泉/曲がり口の温泉/豚の温泉/犬の温泉
場所:JR那智駅から那智山方面へ 県道46号線沿い
かつうら御苑からの所要時間:お車で5分程度

【熊野古道を歩こう】3~補陀落山寺《3》

補陀落山寺のすぐ隣に神社がありまして……
その名も『熊野三所大神社』!

熊野三所大神社

おおぅ、名前からしてすごそう(;´Д`)
も、もしかして、全国にある熊野神社の総本山がこことか!?
なんてことは特にないみたいですが
「熊野三山」として知られている熊野那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社、それぞれのご祭神である、夫須美大神・家津美御子大神・速玉大神の三神を主祭神とすることが名称の由来とされています。
主祭神像三躯、は国の重要文化財に指定されているそうです。

熊野三所大神社

だからお参りするところも3つ!
前回ご紹介した「補陀落山寺」とともに、平安時代から書物に名前が載っておりまして、古くから「補陀落渡海」の前に行者が参拝したり、熊野詣で訪れた人が、熊野那智大社への参拝前に立ち寄って身を清めたりしたとの記録があります。

九十九王子のひとつである浜の宮王子の社跡に建つため、浜の宮大神社(はまのみやおおみわしろ)とも呼ばれる。
(Wikipediaより)

へぇ~>( ´¬`)

熊野三所大神社

地元では「浜の宮の神社」っていう人が一番多い気がします。
何のひねりもないですね……(*´ω`*)
ちなみに『九十九王子(くじゅうくおうじ)』というのは

熊野古道沿いに在する神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で急速に組織された一群の神社をいう。
参詣者の守護が祈願された。(Wikipediaより)

なお、シリーズで紹介予定の県道沿いコースでは、この後2箇所の「王子」があります。
『九十九』は数が多いという表現で使われていて、実際は90もないらしいです。
熊野那智大社と那智山青岸渡寺が隣接しているので、神社とお寺がくっついているのは普通だと長年思っていたのですが、実は珍しいそうですね。

熊野信仰は、神道や仏教や修験道が混然一体となってつくられた、神仏習合。
明治の神仏分離で完全分離になったところも多いですが、いたるところで神仏習合の名残が残っています。
この『熊野三所大神社』もそんな名残を見ることが出来る場所。
那智の滝観光に行かれる通り道ですので、立ち寄ってみてはいかがですか?

◆◆◆熊野三所大神社
場所:JR那智駅から那智山方面へ 県道46号線沿い
かつうら御苑からの所要時間:お車で3分程度

【熊野古道を歩こう】2~補陀落山寺《2》

昨日に引き続き、補陀落山寺のご紹介です。
補陀落山寺といえば、有名なのは補陀落渡海(ふだらくとかい)。
井上靖の短編小説の題材にもなっているので、内容をご存知の方もいらっしゃるかと思います。

中世日本では、遥か南の海の果てにこの「補陀洛」が存在すると信じられていて、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称しました。(補陀落山寺の立て札より)

……これだけ聞くと「へえ~」ぐらいしか思いませんよね?(´・ω・`)

「補陀洛渡海」の基本的な形態は、南方に臨む海岸に渡海船と呼ばれる小型の木造船を浮かべて行者が乗り込み、そのまま沖に出るというものである。
その後、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送る。
場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する。(Wikipediaより)

ちょっと待って、そんなことしたら死んじゃう(´д`|||)
そう、「補陀洛渡海」は捨て身行のひとつで、補陀落山寺の住職さんは60歳になると海に流されていったそうです。
昔は60歳といえば寿命全うしたって解釈だったのかなあ。
現在の感覚で言えば、60歳の方なんてめちゃめちゃ元気ですけど……(´・ω・`)
ただこの風習も、江戸時代には、既に死んでいる人物の遺体を渡海船に乗せて水葬で葬るという形に変化したそうです。
ちょっと安心。

補陀落山渡海船

境内には、補陀洛渡海船のレプリカ(実物大)が展示されています。
これが案外小さくて……外海に出たら相当ゆれたんではないかと思います。
真ん中の箱の中に行者が入り、外から釘を打って出られないようにしたそうです。
四方に鳥居が取り付けられています。

補陀落山渡海船

補陀落山渡海船

昔の方は小柄だったとはいえ、かなり小さな箱。
四つんばいで入らないといけないぐらい狭いです(。・ω・)

補陀落山寺

那智の浜からは25人の観音の信者が補陀落を目指して船出したと伝えられており、境内にある石碑に名前が刻まれています。
平安前期の貞観十年(868)の慶龍上人から江戸中期の亨保七年(1722)の宥照(ゆうしょう)上人まで25人。
貞観といえば、源氏の発祥元となる清和天皇の時代。
そんな遠い昔から、暴れん坊将軍の時代(享保)までの800余年の間、人の考え方や文化も変わっただろうに、ずーっとこのこの捨て身行が続いていたことは興味深いものがあります。

次回は補陀落山寺の隣の神社をご紹介します( ´▽`)ノ

【熊野古道を歩こう】1~補陀落山寺《1》

世界遺産の「那智の滝」「熊野古道」を目当てに来られる方が多いと思います。
でもでも、那智の滝までの間にも(規模は小さいながら)見所はあるんですよ~。
「熊野古道」は熊野詣に利用された古い道の総称ですが、ここでは海岸沿いの国道42号線から、那智の滝方面へ伸びている県道沿いにご紹介していきたいと思います。
というのも、那智参詣曼荼羅に描かれているエリアがその辺だから(*´ω`*)

熊野曼荼羅

◆那智参詣曼荼羅(なちさんけいまんだら)とは……
16~17世紀(室町時代)にかけてつくられた、熊野への参詣者を誘うための絵図。
熊野比丘尼(くまのびくに)とよばれる女性たちが全国をまわり、曼荼羅を見せながら「熊野はこんなにありがたいところなのですよ~、お参りすると徳がありますよ~」と宣伝したそうです

ということで、勝手に始まりました「熊野古道を歩こう」シリーズ、記念すべき第1回は補陀洛山寺(ふだらくさんじ)です。

補陀落山寺

補陀洛山寺は天台宗の寺院で、世界遺産の一部と認定されています。
補陀落とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳といわれています。

ポータラカ→ふだらく ……?(;´Д`)

中世日本では、遥か南の海の果てにこの「補陀洛」が存在すると信じられていて、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称しました。
船出した「那智の浜」(海水浴場:ブルービーチ那智)が近くにあるからか、熊野年代記や平家物語などの古書には「浜ノ宮」「渚ノ宮」という名前で記録が残っているそうです。
現在も補陀洛山寺周辺は「浜の宮」という地名で呼ばれているんですけども、とても古い呼び名なんですねえ……(*´ω`*)

補陀落山寺

本日は、新古今和歌集におさめられている衣笠内大臣の歌で〆たいと思います。
「渚の森」は現存はしていませんが、色々想像するのもロマンを感じますね(*´ω`*)

むらしぐれ いくしほ染めてわたつみの 渚の森の 色にいづらむ

補陀洛渡海については次回(*’ω’*)ノ

ヤタガラスの石碑

本日の那智勝浦は今にも雨が降りそうな曇り空で、ちょっと鬱陶しい感じです。
さてさて、今日ご紹介するのはこちら!
ヤタガラスの石碑です。

補陀落山寺

海岸沿いの国道42号線から那智の滝方面への県道にはいったところから、ところどころに建てられています。
熊野のご神鳥であるヤタガラスと、那智山までの距離が彫られています。

ヤタガラスは、日本代表のサッカーのユニフォームにも使われているので、ご存知の方も多いかと思います。
足が三本あるカラスで、その昔、神武天皇が熊野に来られたとき、道案内をしたと言われています。
この石碑、1988~1989年頃に各市町村に一億円が交付されて話題になった「ふるさと創生事業」で造られたそうです。
一億円のほとんどは公共事業に遣われて、少し残ったお金で造ったんだとか。
熊野古道を歩く方の距離の参考にもなるし、旅行者の方が写真を撮ったりしているので、けっこう役に立ってるんではないかと思います。