「2015年11月」の記事一覧

【熊野古道を歩こう】2~補陀落山寺《2》

昨日に引き続き、補陀落山寺のご紹介です。
補陀落山寺といえば、有名なのは補陀落渡海(ふだらくとかい)。
井上靖の短編小説の題材にもなっているので、内容をご存知の方もいらっしゃるかと思います。

中世日本では、遥か南の海の果てにこの「補陀洛」が存在すると信じられていて、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称しました。(補陀落山寺の立て札より)

……これだけ聞くと「へえ~」ぐらいしか思いませんよね?(´・ω・`)

「補陀洛渡海」の基本的な形態は、南方に臨む海岸に渡海船と呼ばれる小型の木造船を浮かべて行者が乗り込み、そのまま沖に出るというものである。
その後、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送る。
場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する。(Wikipediaより)

ちょっと待って、そんなことしたら死んじゃう(´д`|||)
そう、「補陀洛渡海」は捨て身行のひとつで、補陀落山寺の住職さんは60歳になると海に流されていったそうです。
昔は60歳といえば寿命全うしたって解釈だったのかなあ。
現在の感覚で言えば、60歳の方なんてめちゃめちゃ元気ですけど……(´・ω・`)
ただこの風習も、江戸時代には、既に死んでいる人物の遺体を渡海船に乗せて水葬で葬るという形に変化したそうです。
ちょっと安心。

補陀落山渡海船

境内には、補陀洛渡海船のレプリカ(実物大)が展示されています。
これが案外小さくて……外海に出たら相当ゆれたんではないかと思います。
真ん中の箱の中に行者が入り、外から釘を打って出られないようにしたそうです。
四方に鳥居が取り付けられています。

補陀落山渡海船

補陀落山渡海船

昔の方は小柄だったとはいえ、かなり小さな箱。
四つんばいで入らないといけないぐらい狭いです(。・ω・)

補陀落山寺

那智の浜からは25人の観音の信者が補陀落を目指して船出したと伝えられており、境内にある石碑に名前が刻まれています。
平安前期の貞観十年(868)の慶龍上人から江戸中期の亨保七年(1722)の宥照(ゆうしょう)上人まで25人。
貞観といえば、源氏の発祥元となる清和天皇の時代。
そんな遠い昔から、暴れん坊将軍の時代(享保)までの800余年の間、人の考え方や文化も変わっただろうに、ずーっとこのこの捨て身行が続いていたことは興味深いものがあります。

次回は補陀落山寺の隣の神社をご紹介します( ´▽`)ノ