色川探訪・3~清水邸館跡

今回も那智勝浦町内色川地区の紹介です!
「最初に『自然と動物と歴史のつまったイチオシスポット』って書いてたけど、自然と動物しか出てないじゃん!?」というツッコミがあるかもしれないので、そろそろ史跡?のご紹介をしたいと思います。

清水氏館跡

今回ご紹介するのは「清水邸跡」です( ´▽`)ノ

『この館跡は間口29.1メートル、奥行き21.2メートルあり、三方を石垣で囲まれています。
邸宅は約180平方メートルあり、他に馬屋、土蔵などの建物がありました。
近くには平維盛の子孫と言われている清水家の菩提寺の宝泰寺や墓地跡もあり、地方の豪族にふさわしい館であったことを想わせます。(立て看板の説明文)』

清水氏館跡

亡くなった曾祖母の口伝もあるので曖昧な話なんですけども、色川には平安時代にはすでに人が住んでいて、平家の落ち武者が逃げ延びてきた記録もあるとのこと。
特に、平清盛の孫にあたる、平維盛(たいらのこれもり)が色川に落ち延びて子を設けたとの言い伝えは有名です。
(平維盛は現時に敗北した後の経歴に諸説ある人物で、那智の海に入水自殺した説、太地町に泳いで逃げた説など色々あります)
清水家は、平維盛の血を引くといわれ、色川の豪族の「色川氏」にもゆかりがあるそうです。
(色川氏は新宮城主の家老になって江戸時代後期まで続いた家で「鳴滝城」という城を持っていたそうなのですが、この城の場所は不明です)

現在も残っているのは石垣だけで一般の民家の一部になっているのですが、綺麗に組まれた石垣は、手の込んだものだということが一目で分かります。
清水家の菩提寺の宝泰寺は今もありますが、田舎のお寺とは思えないほど門が豪華!
また、お城や平家の貴族風の呼び名が変化した苗字のお家があったりもして、平維盛が実際どうなったかは別にして、熊野地方に落ち延びてきた平家方の公家や武士がいたのは事実なんだろうなぁと思っています。

那智勝浦で歴史を感じるといえば「熊野古道・大門坂」や熊野那智大社、青岸渡寺がやっぱり有名ですが、いたるところに歴史を感じる場所があるものですね。